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今でこそ、「女性の輝く人生には、セルフマネジメントを!」と息巻くも

40歳までは多くの女性と同様、、

迷走し、キョーレツに痛い目にもあい、家族にも冷たい目を向けられていることを感じながら

それでも走るしかなかった進むことも戻ることもできない、

そんな時期を随分長い間、過ごして来ました。

 

【黄理恵、そこまで経験したか!(笑)】

今現在のプライベートの私は、その時期からするとウソかと思うほど、

また他人(特に女性)から羨まれるほどの、

円満な結婚生活を送っています。次は15回目の結婚記念日。

5人の子どもたちと家族7人で祝う予定です。

 

でもね…今の結婚までに経験してきたことは、イタイ女のあるあるフルコース。

20代の私は、キャリアに反比例して母娘の関係と合わせ、恋愛は戦争でした。

やるか、やられるか(笑)。(いや、私にやるつもりはなかったな。)

 

挙げればキリがないけれど、一部ご紹介(笑)。

・付き合った男性といい別れ方をしなかった

・親の顔色への反発とブロックは恋愛にすさまじく反映

・そういう空気を感じ取った人にも多数言い寄られる。

・「アイツの人生を破壊するなよ」と、先輩に言われたことも。

・ちゃんと恋愛しようとすると、決断できない男ばかり。

・決断できる男と結婚したと思ったらモラハラ男で、殺されかけた。 (本人は殺意を否定。えーーー!(笑))

・相手が短期失踪し、何とか対面できた機会に離婚。 延べ入籍期間は7か月!

 

そしてその3か月後…黒くて長い、私のロングヘアは・・・

モラハラのせいか、

自覚のないストレスが存在したのか、

全部、全部、抜けました・・・・。

 

トレードマークのポニーテールは、私を私らしくするためにあったのに、揺れる髪の毛は、

1本たりとも残らず。

笑いを取るにもシャレにならず。(そりゃ引くよね・笑)

ドクターにも「絶対生えてくる、という保証はできません。」と!

そして、人生初のアデランス訪問、からの、カツラ生活を経験しました!(おお~。)

 

【逃げも隠れもできなかった!】

ショックが半端なかったのは、自慢のポニーテールのせいだけではありませんでした。

私の仕事は、司会業という、人前で話す仕事。

 

結婚式や、官公庁、自治体、地元企業の式典やイベント、

さらに当時は、地元テレビ局の特番の、

リポートなどの希少な機会も頂け始めていたころでした。

 

オールディーズバンドではボーカルとしてしごいてもらい、ステージを務めさせてもらったり、

地元のミスコンで入賞しちゃった経験から、

同業や業界や派遣先、親世代の同級生ママなど、

良くも悪くも動向を探る人々に囲まれ、完全に人目に触れる環境。

 

憐(あわ)れみと嘲(あざけ)り、ハンパなし。

全頭脱毛による心のブレーキとプレッシャーは自分でもビックリ。

(まあ、いらない思い込みもあったと思いますケド。)

 

さらには母親さえも、ちょいちょい心ない対応。

(親戚のおばちゃんの前で「カツラとってみせてみ?」とかですよ?・笑)

 

そんな中、もっとも強力な私の味方であったのが今のパートナーだったのでした。

彼が、私のアタマを気遣って帽子をプレゼントしてくれたところから、復活劇がスタート。

 

その年の年末には、

カツラをかぶらない、

丸いアタマのまま、

彼と除夜の鐘を聞き、初詣をしていました。

さらには、モンチッチ程度な髪のまま、カツラをつけないで派遣先に出勤するようになりました。

ええ、その職場の皆様の驚きっぷりは期待以上でした(笑)。

ロングヘアのリエさんが(それはカツラ)、ある朝きてみたら、モンチッチですよ?(笑)

でも、それを応援してくれる人が、これまで以上に現れた。

脱毛を隠しているときよりも、それはそれはラクで楽しい毎日に変わって行きました!

【幸せな花嫁への、復活ロード】

話は変わりますが、私、1000件近くやっています。

結婚式の司会を。

ということで、1000組の新郎新婦さんを見てきました。

 

19歳で司会者としてデビューした若い小娘だった私にとって、やっぱりウェディングドレスは素敵!!の連続でした。

毎週毎週、ウェディングドレス!カクテルドレス!

近い未来に、「いつか私も~!」な、人生の少し先を歩くモデルさん。

それが私にとっての花嫁さんたちでした。

しかし。

慣れてくると、色々なものがみえちゃう(笑)。

主役のふたり、両家、友人、ほか人間関係。

幸せな結婚式 = 幸せな結婚

とは、言い切れないものを知っちゃうワケです。

 

で。見えて来てしまった・・・。

本当にいい結婚式だな~!!!って、プロの私(や、式場スタッフ)が話題にするときの、

そのカップルの共通ポイントを!!

それが、このあと待ち受ける再びの離婚危機の大事な復活ポイントになりました。

ちなみに私がMCとして式を進行していくそばで、

音響を担当していたミキサーが今もいっしょに人生を築いているパートナーです。

実行すれば誰でも手に入るかもしれない豊かなパートナーシップ。

大事なことは『狙って手に入れることができる!』ということ。

「幸運」なパートナーシップは「たまたま」ではないのですね。

さらにいうと、このレターをここまで読んで下さったあなたは、すでに「幸運」かもしれません。

その入口にようこそ!

【幸せな奥さんへの、復活ロード】

その後、私はいくつかの逆風をパートナーと乗り越え、

(これもまた、リアル講座で話しちゃいます・笑)2003年7月、結婚しました。

結婚式は、生えそろって再びロングヘアになった自前の髪で、素敵に結ってもらえました。

でも、すでに「結婚式」そのものにはこだわってなかった私たちカップル。

(こだわったのは親世代、(笑))

未熟なりにも、私たち二人が輝く場ではなく、

列席してくださった方に、再会や同窓会を楽しんでいただこう、

私たちの結婚式に関わりたいと思っている方々には関わってもらおう、

相手がどうかではなく、私たちが大切だと思う方々には、

ちょっと疎遠になっていても招待状を送りました。

私にとっては、すぐ下の弟以外は、家族も疎遠でした。

でも、「招待しても嫌がるだろう」よりも「招待されて断る方が相手にとって良いだろう。」 

というところまで、心の在り方をキレイに片付けられました。

ホント、スッキリ!!!!!したのです。

絵にかいたような幸せな結婚生活、

4人の健康な子どもに恵まれ、私の公文式教室起業も叶い、勢いもよく、

バタバタながらも充実した人生を歩んでいると信じていた矢先の、離婚危機。

子どもが生まれてからの夫婦のパートナーシップは恋愛時代のそれとは違っていた。

「結婚と恋愛は別」という言葉が初めて頭をよぎりました。

ほとんどなくなった男女としての会話。

口を開けば生活の話。

子育て仕事で身なりやメイクを放置、新しい服は何年も買ってない。お金がもったいなくて。

ダメ押しの単身赴任による別居、教育とお金をめぐって意見の不一致、

そして事業をたたんで赴任先についていった矢先に知らされた夫の裏切り。

壮絶に崩れたもの。

立て直せる可能性など万に一つもなかった。

たとえ子どもがたくさんいようとも。

しかし、、ここでも知らずにチカラを発揮したのが

「狙って手に入れることができる」パートナーシップを築くコツでした。

それは、結婚時よりパワーアップして、最強のパートナーシップを作り上げました。

いや、マジでスゴい夫婦になってしまった(*^-^*)

そして、子どもたち。

すごい両親の元に生まれてきたな、君たちは(笑)、と何の曇りもなく言ってやれる。

そして今、私が苦しみ乗り越えて幸せを手にしてきたプロセスが、

今度は誰かの役に立てる。

その喜びをそのたくさんの誰かと、そして旦那様と分かち合える今日に

心から感謝します。ありがとう。

​代表 黄理恵(おうりえ)

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